​少年とパチンコ景品

昭和40年台の話

家族でパチンコに時々行ったもんだ

私は小学生

今では考えられないこと

その時代、パチンコ店には子連れパチンカーも少なからずいた時代だった

 

埼玉の大宮バイパス沿いに「大宮球殿」というパチンコ店があった

​このパチンコ店の前身はボーリング場だった

その当時は娯楽というものに国民は飢えていて、ボーリングに熱狂する人が多かった

親父はボーリングにハマり、マイボールとマイシューズを持っていた程

週末には経営する板金店の職人を連れ、通い込んでいた

私は駄々をこねて無理やり連れて行ってもらい

ボーリング場にあるゲーセンで遊んでいた

UFOキャッチャーの原型が十円だった

そのUFOキャッチャーの原型はサミー製だったことを現代になり知った時は衝撃だった

 

そのボーリングブームも去り、次々にその姿を消して行った

大宮宮殿はそのボーリング場を改装しパチンコ店にしたものであることは子供の自分にもすぐ分かった

大きなパチンコ店だなぁ

 

ここの店の記憶が今になってなお鮮明なのは景品の存在だった

昭和40年台に景品の取り揃えがハンパなかったのだ

コンビニのように景品棚が島になっているのだ

そして食料品やおもちゃ、日用雑貨が所狭しと陳列されている

驚きなのはスーパーの買い物かごがあり、計算機がついている

当時は計算機は高価なものだった

 

悪ガキだった私は、店内の玉を拾い集めズボンのポケットを膨らます

人相の悪い店員が「ダメだよ拾っちゃ」と注意する

そんなことを言われようが、お構いなしだ

先ずは拾った玉でヤクルトを1本交換する

 

実はカウンターで交換するには勇気が必要だった

パチンコ店のカウンターには決まって怖い姉ちゃんがいたもんだ

今も怖いオネーチャンは居るかな(笑)

赤いマニュキュアの指でタバコをふかしながら俺を睨む

「ダメだよ子供がパチンコしちゃ」

と言いながらヤクルトを差し出す

奪い取ると親父の横に戻り、もったいないから少しずつ飲んだ

 

そして次は親父の出玉を1箱頂戴する

渋い顔で俺を睨む親父をよそに景品カウンターへと小走りする

レシートに交換して買い物かごと計算機で景品を物色するのだ

これが実に楽しかった

どれをとろうかなぁ

そこに決まって妹が現れ、あれこれと協議をしているうちに喧嘩になる

 

この時、まさか自分がパチンコ店の社長になるとは思う由もない

この時代、自宅で余暇を楽しむものなど存在していない

あるとすれば、TV鑑賞に始まり野球盤や人生ゲーム

余程楽しくて、嬉しくて仕方なかったんだろう

「大宮球殿連れてけー」

土曜の夜には親父に懇願するのだった

「子供のくせにパチンコなんかダメだ」

連れて行っておいて何だ!

大人の言うことは分からんと憤慨したものだった

 

景品を選ぶ楽しさ

景品を見る喜び

あんな景品こんな景品

喜んで頂きたい

多額な現金をつぎ込むものではなく

​パチンコというものはそんな存在でいいんだと思っています

※18歳未満の方は入場できません

​ 決して真似をしないでください